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人生朝露

人生朝露

「ヒトラー最期の12日間」の間の日本。

昨日、"Der untergang(ヒトラー ~最期の12日間~)"を観たんだけども、ちょっと気になったので、この当時、日本の状況について。

1945年に入ってからベルリン突入までの世界の主な出来事としては、

1月27日 ソ連軍、ワルシャワ解放
1月27日 ソ連軍、アウシュビッツ収容所に到着
1月19日 イタリアのポノミ政権 対日同盟を破棄
2月 4日 ヤルタ会談開催
3月 7日 チトーを首班とする人民政府がユーゴスラビアに成立
4月12日 アメリカ大統領ルーズベルト死去
4月13日 チリが対日参戦
4月23日 ソ連軍がベルリンに突入

というのが、教科書的な流れ。
では、この間、日本はどうであったのかを、敢えて当時の朝日新聞の記事から見てみる。(選定基準は当時の新聞記事で一番閲覧しやすいのが朝日だから。他所でも図書館とかではそうだと思う。)

まぁ凄いもんで、(今では想像もつかないが)あの天下の大朝日が、今の産経新聞並みの独善的な記事しか載せておらん。昭和16年の真珠湾攻撃以降、内閣が示達した世論誘導方針によって都合の悪い記事は発禁にされてしまう状態なので、ほぼ官製の新聞になってしまっている。さらに、昭和17年6月のミッドウェー海戦での「戦果の報告が6倍、損害の報告が5分の1」という明らかなプロパガンダから、虚偽の戦果の報告が慣例となる。結果「勝った勝ったと聞いている間に国が滅んだ」という目も当てられない内容になってしまったわけだが、記事を読むとそれがよく分かる(ただし、どこの新聞も似たりよったりなので朝日だけの問題じゃない)。

その一つの例として、「竹槍事件」(昭和19年2月23日付けの毎日新聞の「竹槍では間に合わぬ」という記事が海軍の検閲を通ったものの、陸軍省の東条英機の目に止まり、「竹槍で勝てぬとは反戦思想だ」ということで、発禁処分になるという事件。)なんかがあった時代なので、現代の我々が読む場合、注意が必要。

しかし意外とドイツの戦況は客観的で詳しい。

で、昭和20年の記事(通知はしたけど、著作権がやばいので見出しのみ)(あくまで気になったところのみ)によると、

1月 2日 ヒ総統 半歳の沈黙を破る 我に究極の勝利 最後まで努力緩めず
1月30日 東部戦線の局面重大化 断固伯林を死守 赤軍150キロに迫る
       (ちなみにこの日の記事に野口雨情死去の報)

2月 1日 祖国のために最後の力 ヒ総統放送 敵の甘言乗らば没落のみ
      赤軍100キロに迫る
2月 2日 戦意燃ゆ ベルリン (国際電話による報告)
2月 7日 伯林市民の非難禁止 老若男女 悉く武装す
(2月18日には風船爆弾で死傷者が500人突破という報も。2月21日には硫黄島に敵上陸の報。2月13日のドレスデン空襲の記事は見当たらず。)

3月 1日 ケルン包囲す 米 延2万機で独輸送線を爆撃
3月 2日 西部戦線 ケルン外郭を突破 米軍市街地へ
      東部戦線 ソ連戦車軍団へ反撃 独軍ルンメルスブルグを撤退
3月12日 ライン河を死守 ボン放棄 後に独の反撃急騰
3月11日 B29約百三十機 昨曉 帝都市街を盲爆 
      六十機に損害 15機を撃墜す(非戦闘員の被害の報道はほとんどナシ) 
3月15日 B29約九十機 夜間大阪地区を盲爆 
      六十機に損害 11機を撃墜す
      起ち上がる安南民族 大越国家連盟に期待
      赤軍 伯林戦線に終結 フランクフルト北方へも戦火
3月17日 佛国民の七割は病身 飢餓状態のベルギー(米英に屈するとこうなるよという内容)
3月19日 畏し 天皇陛下戦災地を御巡幸

(3月14日には写真つきでクリミヤ会談、3月22日には硫黄島敵手への記事。硫黄島での日本兵の勇姿を中心にほぼ連日報道。残念ながらバロン西の記事は見当たらず。沖縄戦が近いので、3月29日には「合言葉は一人十殺 竹槍なくば唐手で」という記事も。最後は素手ですか・・。実際の沖縄戦の軍人軍属の死者は12万人。一般県民の死者は17万人。)

(ドイツ関連。3月19日に、連合軍の侵攻が近い地域の全生産施設を破壊しろとし、軍需相アルベルト・シュペーアによって回避された「ネロ指令」については当然ない。まぁ、ヒ総統はベルリンが焦土と化しても市民に徹底抗戦を呼びかけていますよという記事で十分のような気もするけど。ちなみに、この年の3月12日に、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で「アンネの日記」で有名なアンネ・フランクが、劣悪な環境の下チフスにより死亡したとされている。当然、記事になってなどいない。)

4月初めはドイツの話題の扱いが小さくなる。連日報道はされているものの、地図はほとんど沖縄。

4月 1日 琉球決戦撃滅の神機
4月 5日 悲壮ルール攻防戦
4月 7日 日ソ中立条約延長せず
      鈴木貫太郎 けふ中に親任式(繆斌〈みょうひん〉については当然なし)
      栗林中将 大将に進級 高村光太郎の「栗林大将に献ず」という詩も掲載
4月 8日 鈴木内閣成立す
      解説、ドイツ軍の迎撃線図付きで欧州情勢を
4月14日 沖縄本島 敵進撃各所に破砕 六千三百名を殺傷
      ルーズヴェルト急死 新大統領にトルーマン昇格
4月15日 明治神宮本殿焼失
      米軍伯林へ 七十八キロ 英軍ハンブルグ上陸へ
4月16日 沖縄 空母等11隻撃沈 航空攻撃隊 特攻隊出撃
      独 南北両断の危機(絵入り)
      手榴弾の投げ方講座 老人も女も来るべき日に備えよ 投げ方が早いと危険 
4月17日 沖縄 新に千七百名殺傷
4月18日 戦災者に畏き大御心 優渥なる勅語を賜ふ
      阿波丸撃沈
      ヒ総統 東部の独軍に布告 護れ国土と妻子
4月19日 沖縄 戦艦等九隻撃沈
4月20日 沖縄の敵へ猛攻続行
      終夜敵艦に突入 一億が送るぞ特攻機 断じて逃がさじこの勝機
4月21日 皇土決戦訓 体当たり精神に徹し 一億戦友の先駆 五州を恪守      全陸軍に布告
      ベルリンの攻防火蓋切らる 欧州最後の決戦

映画の始まる直前までの報道はこのくらいか?
残りは後日追記。



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